6世代が終わって
私の6世代初レーティングバトルはseason6から始まったがそこまでやりこんではいなかった。あの頃は好きなポケモンを使ってレートを楽しんでいたころだった。 使用したポケモンはあまり覚えてはいないが確かメガクチート、メレシー、マリルリ、サマヨールあたりを使っていた。この4匹はフリーバトルでもかなり活躍していて負けたことはほとんどなかった。おそらく6世代の中で純粋に楽しんでいたころだったと思う。
しばらくするとORASが発売され私はORASをダウンロードして短時間でシナリオを終わらしORASレートの準備をしていた。ORASレートのseason8から本格的にレーティングバトルを始めたが結果はいまいちだった。2015年の5月に行われたジャパンカップは専用のPTで行きたいと考えたが厳選をジャパンカップ3日前まで怠っていたため完成せず仕方なくseason9で1795を獲得したPTで行くことを決意。だがボルトロスやランドロスに運ゲーをされその対策をしていなかったためPTは半壊しジャパンカップは敗退した。その後はTwitterをはじめフォロワーさんのブログに書いてあったポケモン構築記事を読みよさそうなポケモンがいたら採用してレートで試運転している日々だった。これをVGC2016ルールが発表されるまで続けていて対戦回数は5000回はしていた。
VGC2015の世界大会が終わり確か12月の中旬にVGC2016年のルールが発表された。ルールはGSダブル。レーティングバトルでは参加できない伝説ポケモンを2体まで使用できるというルールだ。私はGSルールを第1回真・王者決定戦という私が主催した大会で経験してたため少し自信はあった。
2016年になってから私はあいオフにも参加するようになりそこでいろんな人と対戦をして多くのことを学べた。
season14、15、16はレーティングバトルのスペシャルルールがVGC2016準拠ルールになり私は数千回も練習した。でもこのルールはゲンシグラードンの同足ゲーや命中不安定な技、そしてドーブルの多さ(使用率ランキングトップ5に入っていた)などの運ゲーがあったため安定して勝つのは難しかった。この問題はJCS2016の間でもずっと悩まされた。JCS2016はいつも使っていたグラゼルネ構築で挑んだが素催眠 ドータクンや耐久に分厚く振られたゼルネアスに阻まれメインROMは爆死。サブ垢も似たような構築を使ったがやはりドータクンやメンタルハーブドーブルに好き放題され途中で棄権した。
JCSが終わると多くのVGCプレイヤーが全国ダブルに復帰した。私もGSはあまりやりたくなかったので私も全国に復帰することにした。season15までは鈍足雨パや猫の手ダークホールPTなどで1600~1750をさまよっていたが、season16では
メガラグラージ構築
サナバレル
(メガサーナイト、モロバレル、サンダー、キリキザン、ランドロス、トリトドン)
バンドリマンダ
の三つの構築を使用した。
メガラグラージとサナバレルは1800後半で終わったがバンドリマンダだけは最高最終レート1928で終わった。この構築だけが1900を維持して終わるらせることができとても嬉しかった。
そして6世代最後のレートseason17が始まった。レーティングバトルのスペシャルルールがVGC2016ルール準拠ダブルからシングル61に変わった。私はseason17でレーティングバトルが終わるのなら全てのルールをやってみたいと思い総合勢になることを決意した。序盤はランキング1ページ目とかにも自分の名前が乗っていたが慣れていないシングルやローテーションなどでかなりの時間を割かれ得意なダブルバトルも最終1800で終わってしまった。私はseason17で約3300回にも及ぶ対戦回数をこなしたが満足のいく結果は出なかった。
season17以降もレーティングバトルは11月1日まで稼働していたがランキングに反映されないのでもうレートはほとんどやらなくなりポケモンもオンラインになる日減ってきた。あとの楽しみはTwitterの国内最大規模の非公式大会「バトルロードグロリア」くらいだ。この大会のルールはVGC2016と全国ダブルだったのでJCS以来ほとんどやらなくなったVGC2016ルールを再びやることになった。最初の頃は予選落ちばかりだったがバトルロードグロリアオンライン6、7、8は無事予選を抜けることができグロリアオンライン8では優勝することができた。まともな実績がない私にとってはうれしいことだ。
私は6世代で14000回にも及ぶ対戦でいろいろなことを経験した。7世代でもこの経験を活かし頑張っていきたい。
最後にここまで読んでくれた皆さん本当にありがとう。